2010年02月

2010年02月13日

バレンタインですね


14日は バレンタインデー

恋人のいる方は 彼氏にどれにしようかなと
わくわくしながら チョコレートを買うのかな?
また好きな人に告白するための方は それこそ
ドキドキなのでしょうかドキドキ大

また、女性同士でお友達にチョコをあげる風習も
今はあるそうですね!

あるショッピングセンターに行ったけどレジに
すごい並んでて これはちょっと無理!と思い
違うところに行って買ってきました
恐るべし バレンタインですね!

私はオッサンなんでぇ~><
本命なんていう方はここ数十年 いませんし~
やっぱりなんと言っても本命は お客様ですよね!ラブ

14日 バレンタインデーには 亜紀ちゃんが真心
篭めて 袋詰めしてくれました金鍋だけのチョコレートを
先着40名様に本店のみですがプレゼントしちゃいま~す音符

ほんの感謝の気持ちですが・・・

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2月14日、スタッフ一同 心よりお待ち申し上げます。

2010年02月12日

2/13.14のお昼の営業を休ませて頂きます


誠に勝手ながら2月13日(土)14日(日)
は 桑名にて鍋の出張を承りましたので
両日はお昼の営業のみ お休みとさせて
頂きます。

午後は16時30分より 平常どおり
営業させて頂きますのでよろしくお願いします。

2010年02月10日

”辛抱”


このタイトルで BSハイビジョン 『シリーズモダン
東京』に大島部屋の旭大星が主役で出演していたそうな。

いまや 相撲界も揺れに揺れている中、このテレビを
見た方々が とても 癒されたと仰います。
家は悲しいかな まだアナログなので見る事が出来ません。
お友達が 録画してくださり、CDを送ってくれたのですが
同じく アナログなので見れません><;

せっかく送ってくださったのに・・・
でも デジタルになったら早速見せて頂こうと思っています。

旭大星は北海道から 大島部屋に入門しました
旭大星を1年間 フランスの女性監督が見つめ、大星の
戸惑いとか、ここは僕のいる場所ではないと言うような
新弟子時代からのことを描かれたみたいですね

すごく興味があって、早く見たいですね
次々とゴタゴタ続きの相撲界に 少し、苛立ちもあります
だから こういう素直な力士の1年を見て、相撲の素晴らしさを
この目で確認したいなと思いますね。

大星は まだまだ細くて もう少し肉が欲しいですね
強い力士になって欲しいと願っています☆

2010年02月07日

旭天鵬がテレビに出てました。


昨日、中京テレビのうるぐすに 旭天鵬が独占インタビュー
されていましたね。

もちろん、朝青龍のことで・・・

ご存知の通り、旭天鵬はモンゴル力士では初めての関取。
大島親方がモンゴルに行ってスカウトしてきた力士は
6人、私が当時、大島部屋に行ったとき 親方から
6人を親方の部屋に呼び、紹介して貰ったことも今では
本当に懐かしい思い出です。

しかし、昨日も天鵬が話していましたが、
日本とモンゴルではあまりにも文化の違いが大きく
風習ももちろん、大差があります
まさかちょんまげを結って着物を着るなんてことも
驚いたはずです。

旭鷲山が(現 モンゴル国会議員)ジュースの自動販売機の
前でお金を入れて 『ジュースください!』と叫んで
いた話は有名ですよね。そしてモンゴルでは魚が神様と
言われ その神様を食べないといけないと言う食文化の違い。

当時は兄弟子に『日本では大丈夫だから食べなさい』と
言われてもしばらく 口にすることは出来なかったと
天鵬が話してくれました。

津で激励会を10年続けて開催させて頂いたときも女将さんから
『モンゴル力士には 申し訳ないけどハンバーガーでも
いいから準備しておいてくれる?』と仰っていたことも
今では懐かしい思い出です。

そんな辛い思いを 克服して今では日本人でも持ってない
日本魂を天鵬は持つところも多いです
それは昨日 天鵬もしみじみ言ってましたが 横綱
朝青龍の周囲には そのような場面を支えてくれる人に
恵まれなかったのかなぁと寂しげに言ってましたね・・・

『兄貴より先に辞めちゃったよ』と 短いメッセージが
朝青龍からあったと、天鵬。

見えない”絆”で 結ばれていたんですね。

4月の大相撲津場所には 横綱朝青龍の姿は残念ながら
ありませんが、こんなときだからこそ、残った力士が
一丸となって きっと、津場所を盛り上げてくれると思います。

朝青龍関 お疲れ様でした。

うれしい贈り物


昨日、過去にみかさ旅館にご宿泊して頂いて
いました、木本高校の野球部の皆さんが、
当時監督の松崎先生の奥様の還暦祝いで
金鍋にご予約を頂きました。

松崎先生、全くお変わりがなくいつまでも
お若い、そして奥様も教員をなさっていらっしゃった
ので 実にさばさばされてお二人を見ていまして
本当に素敵なご夫婦だと思います。

還暦祝いをお迎えになられた奥様も 輝いて
いらっしゃる・・・本当におめでとう御座います。

それで当時の野球部員の皆さんが続々とご来店、
大きな立派なランのお花を抱えていらっしゃって
これ、女将さんにと持ってきてくださって、
私は『え?松崎先生の奥様にじゃないのですか?』と
何度も繰り返しましたが 私にって!

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お花 大好きな私は本当にうれしくて・・・

有難う御座いましたm(__)m

当時は金鍋の玄関まで旅館でした。
奥様より家の母にと、紅白のお餅とお赤飯を頂き
母にその旨、伝えました
母は『こんな格好で恥ずかしいかな?会いに行っても
ええか?』と聞くので 『お婆ちゃんが会いたいなら
行ってもええよ』と、ご宴席に母を連れて行きました。

松崎先生と手を取り合って泣きながら『先生~』と
懐かしそうに・・・先生も奥様も母を温かく迎えて
くださいました。
当時の野球部員の方も懐かしそうに振り返られ
『お母さんに あんたらまだ1年生で大変やなぁ
これ食べなととんかつをこっそり、食べさせて
くれたんや』と・・・

母が部屋から出るとき 松崎先生は母の手を取り、
母の部屋まで送ってきてくださり、
『先生 これでもう会えへんかもわからんわ』と
先生は 『何 言うてんの!また会いに来るね』と
優しい口調で母に言ってくださいました。

あの当時は熊野の高校の遠征でみかさ旅館をご利用
頂いていました。
当時の生徒さんも 奥のほうを覗き込み、あそこで
洗濯機を使わせてもらった、あそこが食堂やったな
今はないけどお店のところが僕達の部屋やったと
それぞれに童心に返られたように懐かしそうに仰いました。

父も母も『親切丁寧』をモットーにこのみかさ旅館を
一生懸命支えてくれた、その思いを私も無駄にしたら
いけないと思わされた一日でした。
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